今回はぐっと後ろの118段、前回の28段と同様にほんの3,4行の短い章段です。
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本文〉
第百十八段
むかし、男、久しく音もせで、「忘るる心もなし。参り来む」といへりければ、
玉かづらはふ木あまたになりぬれば絶えぬ心のうれしげもなし
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現代語訳〉
昔、男が、長いこと便りもしないでいて、「あなたを忘れる気持は全くありません。そちらに参上しましょう」と言ってきたので(女は次のような歌を詠んだ)、
蔓草がはいまつわる木がたくさんになってしまいましたので(あなたがお通いになっている女の方が数多くなってしまいましたので)、いつまでも私のことを思ってくださるというあなたのお気持ちが(言葉の割には)嬉しそうでもありませんね
長い間連絡してこなかったくせに「いやいや!君のことを忘れたことなんてなかったよ。今に君の元に来るからね」などと調子の良いことを言う男に、そう言う割には私に会うことを嬉しそうにしているようには思えないと返す女。
「白々しいこと!」なんて女の声が聞こえてくるようで、なんだか現代にもありそうな男女の1コマです。
この女の歌の「玉かづらはふ木あまた」という表現、とても面白いな〜と思います。
「玉かづら」というのは、タマは美称で、カヅラは広く蔓性植物をいう「葛」を指す場合と、頭に懸ける装飾品やかつらやかもじをいう「鬘」を指す場合があり、ここでは前者の蔓植物のことを指しています。
「玉かづらはふ木あまた」について、竹岡正夫氏『伊勢物語全評釈―古注釈十一種集成』(右文書院、1987年)によれば、「蔓草の玉かずらが、あちこちの木に這いかかる意に用いて、相手の男に寄せたもの」、また「「玉かづら」を男に、「木」を女に見立てて、多くの女性の元に通う多情な男の様を表わした」とあって、これを読んだ時思い浮かんだ光景にハッとなりました。
我が家では定期的に庭のツル植物を刈り取っていますが、ちょっと目を離すとすぐ色んな所に絡み付いて伸びようとするから困ること…。
蔓植物の持つ性質になぞらえて多情な男の姿を表す巧みさ。
こんなに的確な喩えはそうないのではないかと思いました。
あの蔓植物が持つ鬱陶しいほどの生命力に日々悩まされている身としては、118段の女の「はふ木あまた」という男への皮肉がガツーンと心に響きます(笑)

撮影:Se.ikuno(
PHOTOST)
庭であっちこっちに伸びる蔓植物を見るたび、「118段の男はこんなだったんだな」と思います。
となると鬱陶しい蔓を苛立ちつつ刈り取る私は、さしずめ118段の女の嫉妬心を体感していることになるのかもしれません…。
さて、次回は同じ「玉かづら」でも、118段とは全く正反対の物語世界が描かれる章段について書きたいと思います。
※『伊勢物語』本文は石田穣二氏『新版 伊勢物語』(角川ソフィア文庫、1979年)より引用し、また表記も同書に従ったものです。
※底本は学習院大学蔵伝定家筆本です。
※現代語訳は管理人・かんみが訳出したものです。
※「玉かづら」の説明については、「kotobank デジタル大辞泉」(出典・小学館)
玉葛・玉鬘の項を参考にしました。
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